ままゼロブログ

人生に退屈しているときにたまに書いている趣味のブログです。

【ママ友図鑑年末特別編その2】何者かになりたい症候群〜ママYoutuber【notPR】

ママ友図鑑は、「そういうママ友が私に実在したらこんなアイデンティティである」という妄想をひたすら事細かなディテールに落とし込んで紹介していく私イチ個人の思考遊びです。

 

年末特別編では世相反映みたいな遊びをしています。前回久しぶりに書いてみてとても楽しかったので、このまま、どの方面にも一切忖度なく好き勝手暴走して書いていきたいと思います。

markezine.jp 1万人規模のアンケートでママ・プレママのYouTube日常視聴率は8割を突破

 

file058 ママYouTuber

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生い立ち

いつも何者かになりたかった人です。

小学校時代は週4で習い事に行ってるような子どもだった。ピアノと公文とECCジュニアに通っていた。中高時代は文化祭実行委員と演劇部を掛け持ちして仲間の中心的存在となり夢中でイベントづくりなど「おもしろい事」に没頭していた。大学進学とともに田舎から上京して、自分の平凡さを思い知らされたが、イベントサークルやインターンシップに積極的に取り組んで徐々に自信をつけていった。

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高校→大学時代にmixi全盛期だった世代


 就職時にリーマンショックが起こり、内定していた大手企業のweb部門での採用が取り消しになった。第二新卒で入った小さな映像プロダクションでは雑用ばかりやらされていた。いつも、もっと「おもしろい事」をしたい「おもしろい人」になりたい、と思い焦燥感が募った。

1年勤務したのち、仕事でたまたま再会した大学時代からの友人と結婚(大学時代は付き合っておらず気の合うサークル仲間だった)すぐに子どもができたので退職した。

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4人家族になるのが夢だった


 

 専業主婦になり、通勤1時間圏内の郊外に綺麗な一戸建てを買って、2人の子どもを授かったものの夫は通勤のために朝早く出て晩は遅く帰るので毎日ワンオペで、育児に家事にと目まぐるしい日々に追われる中、ふと、思ったんです。

「私、なんで生きているんだろう」って。

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これ、なにやってんだろな私…(実際の心の声)

子どもは可愛いし、家事も嫌いじゃない、部屋もインテリアも好きなものに囲まれた暮らしに不満なんてないし、先々のお金のことはちょっと不安だけど、働きに出るといっても子どもも小さいしこれといってスキルもないし。

そんなモヤモヤした日々を過ごしていた2014年の10月2日、TVに映ったメガネのビートボックス男の言葉が、いきなり私の心をわしづかみにしました。「おもしろい事をすればみんなで盛り上がれるし、つまらなければ、叱ってくれる。みんなでおもしろい動画を作っている感じです。」

「好きなことで、生きていく」

これだ!!!!

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これが私の生きる道!

みんなでおもしろい事をするのが好きだった。イベントサークルでは企画もやった。興味のあったwebの仕事にはつけなかった。だから映像会社で働いていた。全部つながった!私が生きるべき世界はこれだ!それからはもう夢中で動画を撮っては編集してあげてニーズを調べて企画して…そんな毎日でした。

 

youtu.be すでにちょっと懐かしくない?

 

最初は子どもと一緒に手遊びとか、収納の仕方とか、些細なライフハック動画をあげてたんです。でもある日、七夕飾りを作る動画を投稿したら世界中の人から見てもらえて、すごい再生回数に。それからは、折り紙とかミニチュア工芸のレクチャーみたいなのを載せるようになりましたね。

子どもと一緒に知育お菓子をハイクオリティで作る動画は人気があるのでスポンサーもつくようになりました。今では新卒初任給よりは稼いでますよ。特別なことができない普通の主婦でも、自己表現して稼げる世界がここにはあります。皆さんも気軽に始めてみてはいかがでしょうか。

 (あれ…?最後なぜかステマに…?)

 

動画版はTwitterからどうぞ

ママ友自慢

性格は真面目でストイック。派手に見えて意外と地道で努力家なんです。今回、私がママ友図鑑に書きたいって言ったら上述の事細かな生い立ちまで用意してきてくれて、自己PR?動画も作ってくれたくらい、サービス精神旺盛できめ細やかな気遣いのできるママ友なんです。ついでに「私のチャンネルにも出て!」って言われっちゃったので丁重にお断りしておきました。でも無理強いはしないし、ノリがいいママ友なので飲みにいくととっても楽しいいい人ですね。

 

え?大丈夫ですか?みんな信じちゃってませんよね?全部コレ妄想ですからね?

 

 

 はい、まとめます

「何者かになりたい」という感覚はTV雑誌メディア全盛世代特有のアイデンティティではないかと私は思っています


「有名になる」「影響力を持つ」ことが人生の成功で、そこに夢があって、金があって、それを目指すこと「何者かになりたい」と努力する人生こそが素晴らしい。そう思えるのは今の30代40代がまだテレビや雑誌の黄金時代を覚えているからです。YouTuberもそういう人たちが飛びついたので今盛況しているのではないでしょうか。

 

ただ、やってみたら全然違ったんじゃないかな、と今回妄想してしまいました。

 

www.excite.co.jp 今年のYouTuber界隈と言えば思い起こされるのはこの炎上

TV雑誌時代のカリスマは希少性・憧れ・ストーリー性に彩られていて、作られた「何者か」になりやすかった。でもインターネットメディアでは違います。話題性・リアリティ・バックグラウンドが影響力の鍵となります。そこでは残酷なほど「自分」にしかなれず、あるいは悪意で曲解された「自分」さえコンテンツとして消費されていってしまうのです。

 

realsound.jp 今年の頭に話題になったドラマです

 

そういう世界にいたら「影響力が多大な何者かになりたい」承認欲求よりも、「ありのままの自分を受け入れてもらえるコミュニティに所属したい」帰属欲求の方が強くなってしまうんじゃないでしょうか。というか現にもうそうなってきていると感じました。

 

gendai.ismedia.jp レンタル何もしない人が話題になる令和

 

ママYouTuberの人気コンテンツには必ず「モーニングルーティン」とか「ナイトルーティン」と呼ばれる、ただ普段の生活スタイルを解説しただけの日常動画が大量にあります。今年これ系動画がもうホント爆発的に増えました。これがなんの目的で作られてるのかが最初私にはよくわからなかった。あまりにも淡々としていて、自己顕示欲だけではちょっと説明がつかない、わざとらしいくらいの「何者でもない」感が全面に演出されていました。

今年はあの辻ちゃんがyoutuberデビューしましたね。彼女はもともと有名人なのでちょっと違う感じなのですが、実際はもっとなんでもない主婦のなんでもない日常みたいな動画が多いです。

 

それらを見ていたら、ママYouTuberはできうる限り多くの人に影響力を持ちたいんじゃなくて、ありのままの自分を中心に添えた「自分コミュニティ」に所属したいだけなのだと思い至りました。本人たちももしかしたらわかっていないかもしれないけど、ママYouTuberとヒカキンはもう目指してるゴールが明確にちがうのです。 

ここで前回の言説と繋がるのですが、今の時代、女性の成功モデルの多くの幻想が崩壊し、ママたちは等身大のロールモデルを探し求めてネット上を彷徨っています。自分の属性値にあう居場所を求めてSNSを徘徊しています。

 

YouTubeは時間の共有を体感でき、リアリティにあふれ、実に多様なロールモデルの中から最も身近に感じられるカリスマを探し当てるのに適しています。サービス精神に溢れるママYouTuberたちは視聴者から求められることに応えているうちに、自ずと新しい女の成功ロールモデルを提示する役割を担っていってくれたのではないでしょうか。かつてのカリスマママブロガーがそうであったように。 

www.mamazero.com人気配信者のコメント欄には似通った人々が集まり、そこにコミュニティが生まれ、「ここは自分がいてもいい居場所だ」と感じることができます。ヒカキンさんが言っていた「見る側と出る側、両方で作るメディア」という意味がようやくわかりました。これは双方のニーズが合致した「つながり」であり新しい形のコミュニティなのです。  

「何者かになりたい」症候群は哀れなのか?

最後に、蛇足なのですが、どうしても書き留めておきたくて、お時間のある方だけお付き合いください。

今年の10月末、ネット生配信中の男性が富士山の山頂より滑落して亡くなるというセンセーショナルな事件が起こりました。記憶に新しい方も多いかもしれません。

nlab.itmedia.co.jp

nlab.itmedia.co.jp

この件がSNSを賑わせた時、私はそれに嫌悪感を抱いて、しばらくTwitterのTLを開くことができませんでした。なので実際の動画や反応がどうだったかは見ていません。自分でも潔癖だと思うんですが、生々しい「人の死」がネットコンテンツのように消費されていく状況が、またそういう情報を消費していく自分が受け入れがたかったのです。それでしばらくSNSから遠ざかってしまっていたのですが、この記事を書いてる最中、続報が報道されましてね。

www.nhk.or.jpかなり重い内容なので読みたい覚悟のある人だけ読んでください。

b.hatena.ne.jp

思わず見てしまって、この人が存在証明をしたかったというのも、やっぱり自分の凄さを見せつけたいだけの自己顕示欲じゃなく、ありのままの自分を受け入れてもらいたい「所属欲求」に突き動かされた結果なんじゃないかと考えて。でも結果的に私も含めて多くの人々の心は動かしたわけです。その死によって。

 

バカな死に方したと批判するのは簡単です。何者かになれなかった人は哀れと蔑むのも受け流すにはいい方法だ。この人の死に何か意味づけをしようとしている私もまた、コンテンツとして消費している浅はかな人間の1人なのでしょう。でも全てをひっくるめて、それがこの人の生きた証だとしたら、それは哀れでバカげたことなのか?って考えたら何かが消化しきれずに苦しくて眠れませんでした。

 

たぶんリアルのコミュニケーションは苦手で、無縁社会に生き、それでもネット配信では何かに所属している感覚が得られて、唯一ニコ生ではコミュニティらしき居場所と繋がることができ、誰かの求めに応じていたら、たまたま起きた不慮の事故で死んでいっただけの人なんです。それで生きる意味を感じられたとして、それは哀れなことなのでしょうか??

 

これからの時代、SNSはもっとちゃんと整備されていけば、リアルを超越した新しい「ぼんやりとしたつながり」を生み出すツールとして、どこのコミュニティにも属せなかったような不器用な人たちにも居場所を提示していく可能性に満ちている、と感じた令和元年の暮れでした。

 

いや、自分たちでそういうSNSにしていくよう取り組んで行こうぜ、かな。 

 

wired.jp

 

つづきます(←盛り過ぎて年内におわらなかったです)

次回はジャニオタママです。

 

今年はmamazerobotでの運営をがんばりました

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