ママ友図鑑年末年始特別編をシリーズ通して読んでくださった皆様、ここまでお付き合いいただき誠にありがとうございました。
今シリーズではいつもは端折る脱線部分を削らないで全部お出ししてきたので、かなり読みにくかったろうと思います。お時間をとらせてしまいごめんなさい。
このまとめでは今回取り上げた4人のママ友について、私が設定した「ライフデザイン」とそのやり方を解説していきます。本編とは全く関係のない蛇足になりますので、興味ある方だけこのままお付き合いください。
何者にもなれなかった問題との付き合い方
「何者にもなれなかった問題」とは何か?
今回のママ友図鑑特別編を書いている途中、ネッ友のお一人である梅つま子id:umetさんから「何者にもなれなかった問題」という重要な示唆をいただきました。
この記事への感想をいただいた時です。
私とつま子さんは同年代で、ちょうど40才になります(ですよね?)
このくらいの年になると、 「何者かになりたかった症候群」は「何者にもなれなかった問題」へと様変わりしていきます。
「人生において何かを成し遂げたい。誇りの持てる功績・肩書きが欲しい」という思いを抱えて頑張り続けてきたものの、成し遂げられた実感のないままにどこかなるべくところに着地し、頭では諦めながらも「何者にもなれなかった自分はこれからどう生きていけばいいのだろう(やっぱり何かを成し遂げなければ人生はつまらないのではないか)」という思いを抱き続けてしまうのです。
anond.hatelabo.jp 究極の「何者にもなれなかった問題」はこれ
このブログの読者様は「ママ」が多いと思うのですが、「ママ」は一般的にはすでに何者かになれている人です。だから、ママにとってのこの問題は「ママには一応なれたけれど、ママじゃない私は結局何者にもなれていないのに、一体これからどう生きていけばいいのだろう」という不安にもあたります。自己実現がかなっていない、と言えばわかりやすいかしら。
私、コレすごく自分でも思い当たるところがあるんですよね。
何者にもなれなかった自分をなぜ許せないのか?
問題の本質は、なぜあきらめきれないか、ではなく、なぜ「何者にもなれなかった」自分に失望しているのかにあると思います。失望しているからには何かしらの望みをどこかに残しているはずなのです。
私の場合は、その希望の芽をひとつひとつ洗い出して、間引きして育てたり、現実と付き合わせて容赦無く叩き潰したりしながら生きてきました。なんの参考にもならないとは思いますが、その方法論をちょっと解説してみようと思います。
自分の中の、なんの自己実現がかなっていなくて、何が許せなくて現状に満足していないのか、正確にわかっている人は実は少ないと私は思っています。
人間は、状況とか役割とか社会通念とか、理想の自分とか、自認している「自分」という枠組とか、そういう多様なものに合わせて柔軟に思考回路を自動補正してごまかして生きているものなのです。補正された自分のまま生きていると、いつまでも「なんか違う」「コレでいいのだろうか」という不安がしこりのように残り続けます。
だからまずは、自分は「本当の自分の気持ち」なんか実はちっともわかっていないんだ、ということを認識して、色んな枠組みから解放された「思い」をゼロから整理してみる必要があります。
ママゼロできるかな?方式で考える
ここから自己啓発みたいな話になるから非常に恥ずかしい。でも恥を忍んで出してみるからとりあえず聞いてください。私はある図解思考法で定期的に自分の立ち位置をゼロから考え直すことでそれらの不安感を打ち消して生きてきました。
それはこの本のP165 に出てくるライフデザインの図解方式を自分流にアレンジしたものです。7年前にずっと続けてきた仕事をやめて、繋ぎでやってきた派遣の仕事もやめて、副業程度の業務委託しかできなくなり、ワンオペで三人子ども抱えて転職試験にも落ちまくって、とにかく何もない自分に失望しまくっていた頃に始めました。
kindleUmlimitedだと無料で読めるみたい。中身はよくある自己啓発本です。
なぜアレンジしたかと言いますと、コレどうみても既婚のサラリーマン男性版なんですよね。
だから無職の「ママ」向けに変えてみたの。3つの重なった輪を書いて、母・妻としての自分(私)と、社会的な自分(公)と、個人としての自分(個)、それぞれの立場の自分を完全に切り離して、現状とか感情を自由に書き出してみる方法なのです。
www.tsumako.com 正確には「環世界」ですがなんとなく「環」にしたくて「世界環」にしちゃいました
令和ママの場合
具体的にわかりやすくするために令和ママの場合を妄想で書きこんでみますね
www.mamazero.com この人のライフデザインを図解してみます
軽くこんな感じ(笑)そのあと、重なった部分に当てはまるモノ・コトを考えて書いて修正していきます。あと今後の希望とかも不満も思いつくままに書きこんでみるのね。
そうすると、あー自分て本当はママ垢としてTwitterやってるんだ、とか社会的な顔としてのインスタなのか、とかわかってくるの。どの世界環で何の価値基準の高みを求めているのか、何に満足していて何が足りないのかがちょっとわかってくる。(たとえばこの場合だとTwitterは繋がることだけが重要だからフォロワー数は気にしなくて良くて、でもインスタは本当はフォロワーを増やしたいのかも、とかね)
最後に、3つが重なったところに何が入るか考えると、実はそれが今の自分の核となってるアイデンティティだったりします。(令和ママの場合はSNSでのハンドルネームが入るのではないかと思われます。)
自己実現について考える
次に、書き出した自分の現状を元に、自己実現の全体像をわかりやすく図解にまとめ直してみます。
まず、それぞれの丸を内容の比重に合わせて大きさや重なり具合を変えて描き直します。現状どういう自分の「顔」を持っているのか、先に書いた雑多の中からキャッチコピーみたいに端的にまとめていきます。そこにさらに全部を囲む大きな円をかいて、それぞれ「どういう自分になって行きたいのか」希望を書き出してみます。ここは具体的に「どうなったら自己満足できるか」を書くといいと思います。
次にさらにそれより大きな円に、その希望がかなった結果、最終的にはどうなりたいのかを書く。ここは「社会的にどうなりたいか」を書く方がいいと思います。どんなバカげたことでも正直な気持ちを書き出すのが大事。でも「有名になる」とか「上司に認めてもらう」とか漠然とした望みはダメ。「フォロワー1万人突破」とか「職能査定で1ランクアップ」とか、具体的に(できればその理由も)。宝くじに当たったらどうするか、ぐらいの軽さで、すべてが思い通りになるのならどうなりたいのか、それはなぜなのかを軽い気持ちで書き込む。
全てを統合したのが「今の自分がなりたい理想像」です。最後にそこからどういう自分として承認されたいか、どういう立場でどこに所属していたいのか、そのために何がしてみたいか?など今の気持ちをまとめて欄外に書いてみます。
令和ママの場合は最終的には現状維持意識が強いというか、母としての自分に比重が置かれていてそれには満足していて、ちょっと欲を言えば自己表現の世界でも認められたい?という感じかな。(まさかの最後、母としてが優先されているのは「私」の円が大きいからです)
コレはあくまでも現状なので、書くたびに内容は変わっていくものです。変わらない人もいるのかもしれないけど、大方の人は何を成し遂げたいかなんて現状の自分に合わせて気持ちが変容していくものだから、定期的に確認するのが大事かと。実現可能か不可能かは二の次で、気持ちを整理して不安の元を認識するための作業です。
ライフデザイン図解の事例
令和ママは母としても頑張りたいし友だちも仕事も欲張りたい、けっこう意識高い系の人だと思うので、3つの円がバランスよく重なっています。でも、そうじゃない人への参考にはならないから、他の違った3人のライフデザインも書いてみますね。
ジャニオタママの場合
実は、今回コレ全員分の作ってからママ友図鑑の記事を書きました。ジャニオタママはアイデンティティの中枢に「女」としての自分がいます。そういう自分に「自分らしさ」を感じるタイプ。だから「母」として「妻」としてもちゃんとしたい。(どちらも女の理想像だから)オタ活は、ママ友から派生しているので「ママ」としての自分の居場所だったりもします。
YouTuberママの場合
今回の「何者にもなれなかった問題」発端のYouTuberママ。(リンクは冒頭にあります)
この人めちゃくちゃストイックで、全身全霊でYouTuberなのですよね。「何者かになりたい症候群」の中でもこういう病的な情熱持ってる人がいて、迷いなく突き進めたりするのかもしれないけど一般人には到底真似できないレベルの精神力を要することだと思いますね。(実はプロブロガーさんとかもそうなのだよね。)「自分が輝ける世界がどこかに必ずある」って信じる力が強いんだろうね。
丁寧な暮らしをするママ友の場合
私の妄想劇場のせいで変な項目になってしまいましたが、基本は「公」としての自分に重きを置いてない人です。私生活そのものがアイデンティティという稀有なタイプ。「母」としての自分や「妻」としての自分にも存在価値を求めず、全てが「丁寧な暮らし」をする「個」に付随しているような修行僧のような解脱世界を生きています。
おわります
最後に自分のを出さないとアレだと思うんだけど、どうしても恥ずかしくて出せません。人に見せない前提で書いてるから無理。そうだ、代わりにタイクツさんのを書いてみます。
今までのクラタさんはブログが中心でそれに付随して色々やってきた感じでした。で2019年からは活動自体ちょっと控えて、中の人は本業の方を頑張ってたので、おかげさまで結果も出して認められて仕事が軌道に乗ってきたのね。だから2020年からはまた違う感じでやっていこうかと思っています。
ブログを意識しない個別の創作活動に力を入れてみようかと思っています。このブログはやっぱりタイクツさんにとっての表の「顔」なんですよね。それを意識しない活動もちょっとさせてみたい。あと、クラタさんって実生活のこととかあまりにも謎で、ずっと不透明な感じでやってきたんだけど、今後はTwitterを日記みたいに使ってちょこっとずつ出していこうかと考えています。
毎年個人的にこういう方針みたいなのを作って、具体的に何をしていくか2月くらいに計画を立てています。中の人がかなり意識高い系なんだよね。(←もうバレてると思うけど。)タイクツはめっちゃ意識低いんだけども。(←ふざけすぎてて全然思い通りに動かないんだコイツ)
何をどうやって実現させていくのかも含めて、私はコレらを全て「妄想ノート」というものにまとめて書いています。ネタ帳も兼ねています。もう7年分くらいたまりました。振り返って読むと今まで書いてきたことがだいぶ実現してきたのもわかるし(書いてきたことの6割くらいですかね)、マジで好転してきたから久恒先生に感謝しきりです。(ただもとから妄想が趣味なので向いていただけだと思います。)
何者かになりたい症候群の人って、私もそうなんだけど「前進している」と感じることがとても大事で、できなかった反省より、できてきたことを確認する作業の方が生きていく力になります。何かに書くことによって、自分の気持ちが確かなものになるように、希望とか諦めとか達成感、ただの思いつきでさえ、言葉に書き起こすことで実態を伴っていくことがあります。そういう意味ではブログが一番手っ取り早くていいんじゃないかなと思うけど、どうかしら。
こうやって毎年ブログに書いておけば、意識低い系タイクツさんも実践するしかなくなるから追い詰められていいですよね。(よくないです)
以上、今回は前例にないほどただの思いつきだけで書き散らかしてしまったけど、(長文で本当にごめんなさい)友人であるつま子さんの思考・発想の扶助に少しでもなればと願います。おわります!
つま子さんは今週末このイベントをされます!興味ある方は是非