ママという生き物は実際にみんなが思っている以上に、周りからの目を気にしていたりするというお話です。
前回は育児論は行き過ぎた持論にすぎないという話をしました。育児論も人生論と同じで、みんなわかりやすい成功論を求めすぎるけれど、人生の目的も子育ても何が本当の幸いなのかは当人にしかわからないし決められないから、もがきながらでもなんとか持論を導きだすしかないと思います。
でももがいてる時はもっともらしい理論にすがりたくなりますね。何が正解かわからず不安な時には、批判的な理論を過敏に感じすぎることがあります。それをわかってもらうためのマンガでーす!!
もーカラーめんどくさくてモノクロに戻しました。
過敏に意識してても実はそんなに批判されてないというお話でした。(例の3人組が特別出演)
自分が新米ママの時、そういう感じの過敏症でした。特に気にしてたのは「しからない育児」というのについて。
今考えると超絶こじらせてるのですが、「しつけしないママと批判の目を向けられないようにちゃんと叱るところは叱る、でも感情的に叱らないように」みたいな自意識過剰からムダにがんばってたように思います。(恥)
当時はネットで「子どものマナーが酷いのは最近のママはしつけがなってないから」「過保護すぎる」「しつけしないのもネグレクト」みたいな論調が強かった時期だったんです。しかしこれが、しばらくすると「褒めて伸ばす」「叱らない子育て」が推奨されるトレンドに移ったので、持論が破綻して逆に「しつけはしてでも怒りすぎてると思われないように叱らないといけない」というこじれた自意識が過剰にはたらいていたかもしれません。
でも実際に、公園とか駅とか電車内とかで周りの人を見回してみて、誰がそういうネットへの書き込みをやりそうかな、と想像してみてください。リアルにやってそうな人って意外と少ないですよね。
わざわざネチネチ行き過ぎ持論をぶつけにくる人の批判はむしろ少数派なんじゃないかと思われます。だからこそがんばって主張したいのでしょう。周囲に共感してもらえそうもない現状を憂いて怒っておられるのですよ。そんなことに憤るほどに、意外にも世の中には善意が溢れています。
最近でも、ブクマで見知った批判論調を周りのママ達に話したら、常識人がもっともらしく語ってた価値観はむしろ「そんなやつおらへんやろ」だったりしました。
だからとりあえずネットで見知った常識を先輩面で語るのは絶対にやめよう、と思っています。これもまた行き過ぎた持論ですがね。
関連記事