ままゼロブログ

人生に退屈しているときにたまに書いている趣味のブログです。

【おしらせ】リモートワークに対するいささかの疑念【連載更新報告】

「リモートワーク」って最近よく聞くけどアレってなんですかねー?

離島とか田舎とかで素敵なマイライフを営みながら専門的な職務をこなす人々とかね。ありゃおとぎ話かなにかですか?

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リモートワークみたいなのを本当に欲してる人は、そんなアーバンライフを楽しめる人よりむしろ、介護とか育児とか自分の療養とかで必死こいて生きてて、自宅にいながら働きたいんだがどーにかならんかね?と逼迫してる人々ではないかと想像します。そういう人に早く広がらないものかなあ。
 
ということについて、ハードではなくあくまでもソフトに今回は書きました。 リズムーン連載の更新日です。
 
前回わざわざ見に行ってくれた方、またブクマつけてくれたパパンダ(id:papandaikuji)さん、どうもありがとうございました。正直言うと、恥ずかしすぎてつい先日までページまで見に行けてませんでした。
 
こちらのブログと違って、真面目に書いているので、常にふざけているのがデフォルトな私は恥ずかしくて仕方がありません。いつも自分が楽しみに読んでるサイトなので、なおのこと恥ずかしい。もう穴があったら入りいぐらい。だからしばらく見に行けないかもしれません。もう少しユーモアに転化させて書けたらいいのですが。。。
 
そんなわけで、本編ではうまく書けなかった雑感について、こちらで書いてみます。
 

「新しい働き方」叩きへの違和感と疑念

 いつも思うのですが、「新しい働き方」の新提案がなされる時はいつも夢物語のようなマユツバイメージが先走りますよね。なんかやたらキラキラしてる感じで。
 
ノマドワーカーが流行った時「すごい。すごい。安藤さんすごーーい*1!」とか私もすぐに感化されて情熱大陸を見たものです。しかし、じきに「実現性が低い」とか「不安定」とか「スキルのない人がやるとただのなんちゃってフリーランスだ」だとか騒がれていてすぐに夢がしぼみましたね。
 
かつてインターネットの黎明期に在宅ワークがもてはやされた時も(…これって今ももてはやされてるのかな?)、主婦でも毎月20万円(リアルな数字だね)稼げるとか、子育てしながら自宅で稼げる、とかいうステマブログがネットで乱立してて、通勤生活に疲れた自分はそれをいちいちクリックしてみては惑わされていたものです。でもその実態は情報商材だったり初期投資のかかる在宅ワーク詐欺だったりが関の山でしたね。
 
でもリモートワークはちょっとちがう気がしていて。これまでのどちらかというと「自由な働き方」「融通が効いて稼げる」にフューチャーされていた「新しい働き方」は、「生産単価の高い労働こそ価値がある」という土俵を離れきれていなかった。
どんなに安藤美冬さんが「私らしく働けること」を提唱しても、みんな通り一片の「安藤さんだからできるやつ」「結局稼げないフリーランスになる」みたいな批判に塗れてしまっていたのです。
それが、リモートワークの方は「労働と生活が一緒くたになるのって生産性以上に価値があるんじゃないの」という提唱がより強く含まれてる気がするのです。キラキラじゃなくて、もっと人間くさくて泥のついたような古くさい価値観のような。それは安藤さんが悪かったのではなく、時代がまだ追いついていなかっただけのような。
 
いずれも、本来は、全てを貨幣価値に置き換えて評価する「幸福論」が崩壊した昨今だからこそ、注目されてきた「より人間らしい働き方」への原点回帰だったはずです。
 
だからそれをまた「給料が下がる」とか「評価されない」「昇給できない」などの「貨幣価値や生産性で評価するのはちょっと違和感を感じてしまいます。
 

労働価値の二重構造(こちょっとムズイ)

経済社会の中で幸福論を追求していくと、最終的には短い時間でより高い貨幣価値を生み出せるいわゆる「生産性の高い」仕事が求められ、労働力にも「量より質」が求められるようになってきています。でも、この「量より質」は選ばれし優秀な人間にだけできる所業であり、実は私らのような一般ピーポーには簡単にはできません。スキルや経済的資源を持つ者・持たざる者が存在し、それが元で「格差社会」とか騒がれています。この格差を是正するためには経済的な補填(ベーシックインカムのような)が必要となります。
 
一方で、福祉社会の中では「愛」とか「個性」とか「つながり」「信頼性」「共感性」「影響力」などが幸福の象徴として追求されてきました。これらの価値基準は「生産性」を測れないものが多く、今までは芸術など一部の分野でしか注視されてこなかった人的資源の一端です。その、今までは目に見えなかった価値基準が、近年SNSによって急速に可視化されてきたのです。
 
同時に「生産性」だけを求める働き方への疑念も可視化されてみんなに共有されるようになってきましたよね。ブラック企業とか パワハラ・セクハラ、そして保育園落ちた死ね、本当に働きやすいってどういうことなのか?生産性より大事なことがあるんじゃないかと?新しい「健やかに働く」という「労働価値」が広く認知されてきたのではないでしょうか。
 
最近になって再注目されるようになってきた「ノマド」「在宅ワーク」は、以前の目指すところと内容が変わってきていると思います。ようやくキラキラな世界線で語られなくなってきた。それらを一般化するためにも、「 新しい働き方」を語る人はドリーマーになるべきじゃないのです。
リモートワークも、より等身大の被雇用者が、「より健やかな働き方」という基準と「生産性の高さ」という基準を別にして語らないと、論点がとてもわかりにくくなると感じています。

「新しい働き方」を語るのに忘れてはならない4つの視点

 だから「新しい働き方」を語る時は、4つの疑念を常に念頭に置いて書かないといけないと思いました
  1. 「大企業とかベンチャー企業とか、環境から整えられる恵まれた企業だけにゆるされた特権なんじゃないの?」
  2. 「コミュ力とか人脈とか、持ってるやつだけが実践できるマッチョ理論なんじゃないの」
  3. 「結局、専門スキルや特殊技能みたいなのがある選ばれし人だけが実現できる働き方なんじゃないの?」
  4. 「結局誰かのサポートとか給与などの犠牲があってこそ実現できてる働き方なんじゃないの」

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でもそれを全部網羅しながら語るのがなかなかうまくいかないのです。難しいのです。そんなモヤモヤを抱えながら今回は書きました。
 なーんて、まるでB面営業みたいになってしまったのですが、皆さんのご意見を拝聴いただけたら嬉しいです。。。今回はちょっとネタにもならない話を勢いでしてしまってこっちのエントリーのが恥ずかしいかもしれない。

*1:安藤美冬さん「ノマド」という言葉を流行らせた方です。