悪口とかヘイトが大好きな人っていますよね。ブログとかツイッターだとやたら攻撃的な「ネガコメ」「クソリプ」を投げてくる人々のことです。でもその内容に冷静な正当性があると「批判」「批評」に見えて、独りよがりだと「いちゃもん」「ディス」「やっかみ」みたいに思われる心象の違いがあるの知ってた?
そして先日、ふとはてなブログで見つけたエントリーがすこぶる面白かったので、私もコレやろうと唐突にひらめきました。
※こちらの記事ははてな界隈の内容なのでサッとだけ説明しておくと、はてなの人気ブロガーであるひーたむさんへのネガコメに対する懸念みたいな内容です。(雑でごめんなさい) 以下の本文とはあまり関係ない内容です。(はてな界隈の方ごめんなさい)
まあ、この議論の是非はともかくとして、ネガコメを繰り返す人にはパターンがあるというのは、人間社会やブコメではよくある話だなあと思いました。ことさらにハテブってたった100文字の中に、みんなに「もっともらしい」と思わせる正当性をうまいこと詰め込んできますよね。あれ、テンプレっていうかもう一種の文化だと思う。「お察し」文化。
そこで、私も「ママ友の悪口」によくありがちな「マウンティングポジション」をテンプレ化して分析・解説してみることにしました。
ただ悪口をパターン化して解説してもつまらないので、同じ内容でも「批判」に聞こえる言い方と、「いちゃもん」に聞こえる言い方とを例に挙げて比べてみることにします。×はダメな例(いちゃもんに聞こえるやつ)で◯がいい例(正当性のある批判に聞こえるやつ)です。
ただのディスコメに正当性をもたせたいそこの初心者ブクマーたちよ、これを読んでレッツトライ。
1、「くだらなすぎる」(俯瞰マウンティング)
例
×「 A子ちゃんてダンス習ってるんですって。それで毎年学芸会で劇やってるのをママが先生に言ってダンスに変えさせたらしいよ。目立たせたいからって必死すぎ。くだらなすぎるわ。」
○「A子ちゃんのママだけど、今までずっと学芸会は劇だったのにわざわざ先生に言ってダンスに変えさせたんですってよ。そんな細かい所にこだわるなんてくだらなすぎるわよね。」
状況を俯瞰しているようでいて、実は「あんなつまらないことをしてまで目立ちたくない」という、目立った行動をする人へのヘイト感情の裏返しだったりします。
自分は同じようには振る舞えないことを「くだらないからあえてしないのだ」と置き換えることで、優位に立とうとするまことに高尚な「批判」です。しかしそのヘイト感情が強く出すぎると「あー単に目立ってる人が嫌いなんだな。」と邪推されるような「いちゃもん」に変容してしまいます。
ネット上では「ここで初めて知ったけど」「目障り」「炎上狙い」「興味ないけど〇〇」などのディスコメがこれに該当します。
2、「ずるい」(正論マウンテイング)
例
×「うちの子はダンスが苦手なのに。嫌がって泣いてるわ。自分の子どもがダンス得意だからってズルイわよ」
○「学芸会が劇なのはどんな子でもみんな活躍できるからよ。それをダンスになんかにしたら不得意な子だっているじゃない?自分の子どもを目立たせたいからってズルイわよ」
同じ理不尽を感じている人からの共感を得やすく、傍観者の正義感にも訴えかけられるので最も賛同を集めやすい批判がこのタイプ。万人に主張しやすい公平性や透明性を盾にできるのが強みですね。
一方で、「本当は自分の子どもこそ目立たせたい」という嫉妬と僻みをそこはかとなく感じさせます。このヘイト感情の方を全面に押し出されると、「自分の子どもが目立てなくなって悔しいだけかな」と思われて一挙に「いちゃもん」の類に転じてしまいます。
ネット上では「スパム」「ステマ」「互助会(←はてな限定ね)」「〇〇信者」などと言われるディスコメの類に相当します。
3、「ありえない」(常識マウンティング)
例
×「私だって劇はいやだったけど園の方針と思って我慢してたのよ。それをA子ママのわがままだけでひっくり返るなんてありえない。」
○「我慢していた人もいたけど、今まではいつも劇をやっていたの。それを個人の都合で変えるなんてありえない。なんでも個人の意向が通ると思わないで欲しいわ。」
実は「今までのやり方」ではなく「私の思う正しいやり方」を押し通そうとしているだけなのですが、慣例主義の追い風を受けていつの間にか主語がでかくなっています。常識×慣例という強力タッグが説得力をもち、一定数の賛同は必ず得られます。
しかし主語の「私の」が強まることでとたんに「自分は我慢してきたのに慣例を覆すとは何様?というA子ママへのやっかみ」感が強まり、途端に「いちゃもん」めいた文句に転じてしまいます。
ネット上では「終わりの始まり」「オワコン化」「〇〇を懸念」「〇〇が本来の姿だが」などというコメントがこれに相当すると思われます。
4、「おもしろくない」(ハイセンス・マウンティング)
例
×「ダンスって見ててもつまらないと思わない?ただ音楽に合わせて体動かしてるだけでおもしろくもなんともない。A子ママのセンス疑うわ」
○「そもそもダンス見てもおもしろくない人だっているよね?見てる子どもたちも飽きてしまいそう。あの狭いステージ上でドタバタしてるのってのもなんか品がなくて感心できないし」
自分のセンスに自信があるのはとても良いことです。でも誰かに承認してもらえないと安心できない気弱さがちょっぴりカワイイですね。あくまでも個人の感想なのですが、「他の人も」とか「一般的に」みたいに平準化することによって説得力のある「批判」の皮を被ることができます。
しかし「対象そのもの」や「発信当事者そのもの」へのヘイト感情が強く出てしまうと「ただの個人の好みだろ?」と思われるような「いちゃもん」に転じてしまいます。
そして本当に「おもしろくない」のはその内容ではなく、目立った行動をした本人に対してではないか?という邪推まで抱かれてしまいます。(実際に、ボスママにはそういうことが往々にしてあります。)
ネット上でのコメントでは「ムダに長いww」「これっておもしろいか?」「読んでないけど〇〇」「つまらなすぎてかわいそう」「オチがひどい」など。
5、「理解に苦しむ」(選民マウンティング)
例
×「学芸会の出し物にこだわるなんて三流のやること。一流はなにしても目立てるから理解できない。頭おかしいんじゃないの。」
○「普段お世話になってる園の決定事項を変更させるなんて、どういう感覚でものを言ってるのかしらね。全く理解に苦しむわね。」
内容云々に関わらず別次元からターゲットの存在そのものを否定しようとする達観的な「批判」です。これを言う人は「自分は人と違って選ばれし人間」と何の疑いもなく思っています。
あるいは本当に特別な人間なのかもしれませんが、その「選民意識」を強く主張されてしまうと、周りが興醒めして「本当に格別な人間はそんなことわざわざ言わないのに」感が強くなり、一挙に「いちゃもん」臭が漂い始めます。
崇高な自分でも理解できないのだからどれくらいおカドちがいなのかわかるでしょう?と言いたいだけならば相手を蔑む表現は入れない方が得策です。
ネット上でのコメントでは「痛い」「イミフ」「下品」「気持ち悪い」「キチ」「中2病」などと言われますので、ちょっと刺激的な侮蔑表現が多くてびっくりしますね。
おわります
まとめまーす
- くだらなすぎる
- ずるい
- ありえない
- おもしろくない
- 理解に苦しむ
上から縦読みして「くずあおり(理)」ですね。
時に、発言力のある人は「いちゃもん」のようなディスコメするだけでも容易に全体の意向を扇動できてしまうので、自戒の念で「クズのような煽りでも人を動かす」と覚えておいたほうがいいかもしれません。
なんだかんだ言っても、ネットでもママ友界隈でも「共感」をより多く得たもん勝ちだったりします。
たとえ小さな「いちゃもん」でも、上手に賛同を得られてしまような場合もありますので、ママ友界ではうまく受け流す方が重要なスキルなのかもれません。賛同側に安易に乗っかるのさえ地雷ということも往々にしてありますからね。
というわけで次回はネガティブな話を自然にスルーする魔法のあいづちについて書いていきます!お楽しみに!
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そうです、私は完全にこのキチです