前回の仮説をもとに、ここからは私が「ママ友と思われてんじゃね?」と感じた実際の方々についての、ごく個人的な見解を語っていきたいと思います。
私の場合、自分はママとしての知人の皆様を「知人」や「ご近所さん」や「クラスメイトの方」と思っているにも関わらず、なぜか相手サイドが「ママ友」と思ってくれているという思い上がりが私側に発生してるのが問題です。
なぜ「ママ友」と思われていると自分が思い上がっちゃっているのかが大問題なのです。(大事なことなので、二度) そのかなり個人的な見解について、共感を得られないことを覚悟の上で、ゴイゴイえぐって解説していきます。
1、私に「子どもに関連する情報源としての価値」しか求めてこない「ママ友」について
この方は、とても良い方です。私が、ちょっとした公園デビュー・ハラスメント(仲間はずれ)に合った際、真っ先に声をかけてきてくれた奇特な方です。(このことについては後日詳しく)
最初はとても近所に住まわれていたので「ご近所さん」としてお近づきになりました。 ほどなくして引っ越されてしまったため、私はすっかり顔を忘れてしまいました
が、私の方が子供の小学校のパイセン(年齢に関わらずとにかく暦の長い方が教える先輩)ということもあり、LINEで学校情報を伝えるだけの関係性に移行していきました。
そして今、もし学校行事で遭遇しても、彼女を見分けることができない私ごときに、わざわざなんでもない情報入手のためだけにLINEをくださる彼女を、「ママ友」と思ってくれてるから仕方がないのだ、と片付けようとしている私がおります。 「私は顔を忘れてしまったのに。。。」という罪悪感とマウンティング(?)衝動を、彼女には「ママ友」と思われているから仕方がない、という思い上がりで一挙に解決しようとしているわけです。
2、私に「帰属意識安定のための価値」しか求めてこない「ママ友」について
この方も、とても良い方です。長女が生まれてすぐに、児童館で知り合った彼女は、知り合ったその日にすぐ私をご自宅に招き入れてくれる「気さくさ」で、自分なんかが瞬時に気に入られるとは到底思えない私のような人間などは「これは宗教の勧誘なんじゃないか?」と猜疑心に襲われたほどでした。
そんな不安もすぐに払拭されるほどに彼女は気安い方で、お茶したり、おでかけしたり、少しだけ打ち解けてきたのでメール交換をしたりしたのですが、
その後いきなり全く音沙汰がなくなりました。 おそらく、私という人間の卑屈さが彼女に伝わったのではないかと思われます。
そして、もっといい「ママ友」にとって変わられたのではないでしょうか?その罪悪感と敗北感から、「しょせん仕分けされる程度のママ友だったんだな。。。」というせめてもの負け惜しみにて、なけなしのプライドを保とうとしている次第であります。
3、私に「子供への奉仕意欲を充たす価値」しか求めてこない人
この方も、とても良い方です。私の長男の親友のお母様で、先日言及させてもらった「初めてお家に招待した」ママ友です。
この方を、なぜ他の「知人」や「クラスメイト」や「ご近所さん」と区別するのかと言うと、とても難しいのですが、
- 家に呼んでる時点でただの「知人」じゃない
- 家族ぐるみの付き合いで、長女や長男や次男が、先方のお子様やらお父様やらにかなりなついているのでただの「クラスメイト」じゃすまされない
- 家がすごく遠いので「ご近所さん」でもない
- ついでにお酒ものまれないので「呑み仲間」でもない
- かといって、「お友だち」と呼ぶのもおこがましい
という選択肢のなさから、もはやこれは「ママ友」と呼ばざるを得ない、と自ら断腸の思いで決断し、「ママ友」認定をした次第です。
4、たまたまタイミングがすごくよく合う人
この方は、もうかなりの知り合いです。子供の「クラスメイト」として3回も一緒になっている他、色んな偶然が重なりすぎて、塾がいっしょだったり、夏休みのイベントが一緒だったり、もうただの「クラスメイト」の一線をかなり越えてしまっています。
ただ、何かしらの距離を感じることがあるために、「お友だち」になれない感が否めず、それは私側の問題でなく、彼女側に何か、越えてはならない鉄壁の守りがあるように感ぜられるのであります。
それは、ただ1点の理由 私と年が離れすぎているので敬遠されている(私が若すぎる)に尽きると思われます。
かといって、自分も立派なおばさん年齢に変わりないのだが!!
彼女にとってはあまり仲良くならない世代の臭いがプンプンするので、「距離をおかれている」=「ママ友」扱いされている、のではないかな?というのが私の率直な見解です。
以上が私が「ママ友」と思われていると、勝手に思い上がっている内情の全てです。 この「思い上がり」をどうやったら払拭できるのか?についてはおいおい考えていきたいと思います。