ままゼロブログ

人生に退屈しているときにたまに書いている趣味のブログです。

二度見知りとは何か〜全然知らない人の方が緊張しない人たち〜

人見知り、に対して「二度見知り」という言葉があるようです。

 

人見知りは、知らない人に対して必要以上に恥ずかしがってしまい、流暢に喋れなかったり、もじもじしてしまったりする現象や特性のことを言います。

 

一方の「二度見知り」は、初対面や知らない人に対しては何も感じず、流暢に喋れたりもしますが、次に会った時にどう接したらいいのかわからなくなり、もじもじしてしまう現象のことを言うようです。

 

いったいなんなのかこれは?

 今日はその内情をちょっとだけ紹介してみたいと思います。

 

 先月コミュ障ママbotにtweetした漫画の解説になります。

人見知りマンガ

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なぜ石川台なのかは置いといて、人見知りの彼女が何を恥ずかしがっているのかを憶測するに、おそらくこういうことではないでしょうか?

  • 「誰だおまえ?的な視線を注がれるのが恥ずかしい」
  • 「初対面だからどう接したらいいかわからない」
  • 「相手からどう思われるかわからないから怖い」

ファーストインスプレッションが大事だということは誰しもが備え持ってる防衛本能なのだと思います。野生だと生死を分けたりもしますからね。それが強すぎるのが人見知りなのではないでしょうか。

初めてだから接し方に慎重になる→戸惑い→うまく振る舞えないから恥ずかしい→相手からも観察されるから余計に恥ずかしい→戸惑い深まる→今どう思われてるんだろう?→パニック!→その悪循環。

そういう体質か、はたまた過去のトラウマか何かのせいなんでしょうけど、ある程度親しくなってくれば解消されるようです。存外、こういう方のが深い狭い関係性を作るのはうまかったりしますよね。

はい、次。

二度見知りマンガ

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これが二度見知りです。初対面の時はそれなりに緊張しながらも、会話運びはできていたのに…。この二度目の遭遇で彼女がはまっているドツボはたぶんこういうことなのではないでしょうか?

 

  • 「ちょっと仲良くなりたい(でも嫌われたくない)」
  • 「ちょっと知り合いたい(でも誤解されたくない)」
  • 「社交的に感じよく会話したい(でも何も浮かばない)」

 

→結果「何もしない方がまし」状態に

 

こういう方は、初対面の人や全然知らない人の方が、あまり深く考えずに一過性の社交性でうまく擬態することができます。互いの関係性にまだ意識が向いていない状態だからです。

でも二度目以降は、その前後の関係性や整合性を意識しすぎるあまりにあたふたし始めます。人づきあいは関係性の積み重ねですので、実は二度目からが本番なのです。そこで初めて連続性が生まれ、真の社交性が問われるわけですね。

 

前回しゃべった人だから話しかけないと…→どんな話すれば無難かな?→そもそも初対面の時自分どんなだったっけ?→再現不可能→パニック→変な人だと思われたくなくて取り繕う→戸惑い深まる→消えたい→その悪循環に陥ってしまい、一向に他人との距離感が縮まることはありません。 

 

この戸惑いは場数を踏むことである程度は解消されると思います。なぜなら、何度もあたふた悪あがきをすることで、徐々に自分の社交性への失望にも慣れ、取り繕った相手とも特別仲良くなれるわけでないことも悟り、最後は完全に「うまく振る舞う」ことにあきらめがつくからです。それでも、こういう関係性を50回くらい重ねることで、それなりに親近感が湧いてママ友っぽい存在には昇格できます。(だからといって、仲を深められるわけでもないのだが。)その辺の詳しい過程が知りたければ当ブログの初期の記事をご参照ください。(そろそろ私、泣いていい?)

これが↑

こうなって↑

こういう境地に至るわけだ↑

 

まだ先があるぞ

五度見知りマンガ 

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どうしよう。解説するのが辛くなってきました。やめちゃダメ?はい。続けましょう!この五度見知りの彼女は、社交性は多少あると思われます。ないのは度胸です。つまりこういうことです。

  • 「グループできてるところに入って行くのが怖い(失敗したくない)」
  • 「グループづき合い苦手だから継続できるか不安(失敗したくない)」
  • 「わからない話題にムリヤリ入って幻滅されたくない(失敗したくない)」

 

→結果「入らない方がまし」状態に

 

これはほぼ、100%何かのトラウマだと思います。これまでの人生の中で壊滅的な失敗や嫌な体験をされた方が、「もう二度とごめんだ」と無意識に自衛してしまっているパターンです。寂しいのも嫌だけど、グループづき合いで失敗するのはもっと嫌なので思わず「うっ」って身構えてしまうのです。そのせいで、関係性を強くしていくのが困難になります。

 

こういう方はもう、ぼっち道を極めるしか逃げ道がありません。大丈夫、すぐ慣れます。1人でいる自分を好きになることです。それだけです。さみしくなんかない。(泣いてません)1人は楽しいよ!(泣いてません)そのうち度胸も座ってきて、他グループに飛び入り参加もできるようにもなるし、誰とも仲良くなれないけど身軽でステキにぼっちライフを満喫できます!(泣いてないってば)

 

その辺の過程を詳しく知りたければ初期の頃の記事をご参照ください

これが↑

 こういう大人になっちゃって↑

 こういうとこまで極めてしまうのです↑

 

最後だよ!

九度見知りマンガ

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こ、これは。。。完全に最近の自分じゃないかあああ!!!!(即死)

 

人間というのは、寂しさやそれを払拭するためだけの「仲間」帰属意識にもすっかりあきらめがついて、誰かのちょっと特別な存在になりたいとかいう承認欲求や、自分を社交的でステキな人に見せたいという虚栄心、自分にとってしごく都合の良い「本当の友だち」ができるという身勝手な夢、などの「りぼん」や「ジャンプ」に与えられてきた全ての誤った幻想に別れを告げて、何かを悟ったその時に、この九度見知りの彼女のようになります。(集英社のバカヤロウ)

 

結局、自分のことをちゃんと好きじゃないんですよね。全部そこに戻ってきてしまいます。自分には特別誰かに好いてもらう価値などないと卑下しながらも、それでも飾らない真の自分を誰かに認めてもらいたいし、しかも否定もされたくない、なんてムシの良すぎる話ではあるまいか?

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「オレの味がわからんやつは店に来るな」的な

こういう頑固なラーメン屋のオヤジのような店主が、無意識に心のシャッターをガラガラ締めまくっていますよこういう方々は。一度このオヤジとじっくり話し合ってみることをお勧めします。

実は自分を好きになるというのは、このガンコなオヤジの存在を「許す」こと、そして「否定せずに受け容れる」ことにも似ています。そのらあめん道を歩んだ先に初めて、背伸びせずとも人と心を通い合わせられる道が開かれるというものなのです。

それじゃあ…私もちょっくらうちの佐野と話し合ってくるんで、今日はこの辺で…シャッターガラガラ!

 

おわります。 

 

 

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