前回、おばさん化のことを書いたきり、ブログを書いていなかった。
昨年おばさん化活動を開始した私は、43歳になった今年、いよいよ本格的に「おばさん」として新生しました。みなさん、聞いてください、私、ついに本格的に「おばさん」になったんです。
私はおばさんになりました〜!
前回
本格的に「おばさん」になった、とはどういうことかというと、
例えば
「おばさんみたいに見える服をやめる」ことをやめてみた
ことなどです。
服を選ぶときに試着して鏡を見てみて「うわあぁ!なんじゃこりゃぁおばさんぽく見える!よりいっそう私のおばさんらしさが強調されて見えるじゃねえか!やめやめ!」って思うのをやめてみた。
「そう思わないようになりました」なんて強がりはいっさい言いません。一旦はそう思うけど、思っちゃいはしますけど、そこであえてやめるようにしてみた。代わりに
「じゃあどういうおばさんとして見られたいんだろう?」と選び直すことにしてみたのです。
これが、小さい変化のようでめちゃくちゃデカかった。360度意識が変わりました(※結果は全然変わってないけど意識は変わったという意味で)これで自分のおばさん自覚意識が一挙に加速しました。だから逆に、まだ「おばさん」になりたくない人は絶対に真似しないでくださいね。
すると、次の問題が俎上に上がりました。どういうおばさんになりたいのか、「自分が好きなおばさんのロールモデル」がよくわからなかったのです。ヴィジョンがまったく浮かばない。そもそも今までまともに「こんなおばさんになりてえな」などと夢想したことなどないのだからヴィジョンなんてあるはずもない。「私も周りを気にせず虎柄セーター着てアゲアゲな大阪のおばハンになりたい」とか「オバタリアンみたいに生きられたら楽かもな」とか思ったこともあったけど、それはあくまでも自分じゃない別の誰かとして想定していた転生論にすぎなかった。
いや、おそらく、「おばさん」というものはそもそもみんなが積極的になりにいってるわけじゃないんじゃないの?マイナス15歳若く見られる美魔女マダムも、シミだらけの日焼け肌で自給自足する古民家暮らしも、「なるべくしてなった」だけなのかもしれない。自分らしく生きることを志向し、実践しながらも、体や思考が徐々に「おばさん化」していき、心が後から認知においついていくだけなんだと思う。おばさんのロールモデルを目指したわけじゃなく、みんな結果的に自分がおばさんのロールモデルになっていただけなんだと思う。
でも憧れますよねそういうのって。どんな形であれ、自分のスタイルを確立している人には憧れます。私はそういう風にはなれないけど、いつもできない何かに憧れて生きてきた気がします。憧れて、修正して、誤魔化して、でっちあげながら生きてきたんですよね。
どうやら私という凡人は今まで、そうやって確立されたロールモデルに憧れながらも、しっくりしない部分だけを自分流にアレンジして「それらしい姿」「それらしいキャラクター」「それらしい趣向」に置き換えて擬態し、人から理解されやすい「自分らしさ」を演じて生きてきただけのようです。むしろ想定したロールモデルを自分らしく演じながら生きること、それこそが私らしさだったような気すら。(なんてメタなんだ)
たとえば、保育園ママ界隈では「ママ友がいるっぽい無難な人」に見えるための姿や所作を目指したし、会社では「ゆるキャリママっぽい同僚」に溶け込むためのそれらしいキャラクターで振る舞ったし、ブログでは「ママ友いないっぽい人」としての趣向を尖らせて書いてきたし。
いつも、「社会的ポジショニングのためのロールモデル」を念頭におき、そこに自分のクセとか変な独自性をうまいこと整合しながら、騙し騙し、あてはめた自分像を発信して生きてきたのです。
だが今回はなんだか違う。発想できる「おばさん」ロールモデルの手駒が、あまりにも少なすぎました。自分が真面目に取り組んでこなかったせいもあるけど「より良いおばさん化」の情報収集が不十分すぎィ!世の中には自分が知らないもっとたくさんの多様な「より良いおばさん化」情報があると思うんです。
なりたいおばさん像についてもっと情報収集したら、私も憧れのトラ柄セーターの女に近づけるかもしれないです。
togetter.com 阪神タイガース優勝おめでとう!
そんなわけでひとまず、最初のヴィジョン(仮)としてトラ柄セーターの女を想定し、情報収集してみることにした。具体的なイデアに対象化した方が目指す方向性が掴みやすくなる。いわゆるたたき台ってやつです。仮のゴールに向かう中で生まれた違和感を理想像(イデア)に反映して、その都度、変形していけばいいんだと思う。
というわけで求む、より良き「おばさん化」情報。