ままゼロブログ

人生に退屈しているときにたまに書いている趣味のブログです。

「おばさん化」を目指して遭遇した「こんなはずじゃなかった」こと

今年はおばさん化について取り組んだ1年だった。

私も今年42歳になり、いよいよおばさん化に歯止めが効かなくなってきた。

40歳はまだ良かった。41歳も、まだまだ、「あーもう私も40代になっちゃったよ〜あ〜あ〜ああああ」って雰囲気のまま「なっちゃった感」だけで裕に乗り切れた。でも42歳はいよいよごまかしが効かない。おばさん化待ったなし、本番きました始まりました。増えゆく体脂肪率、なくなる肌のハリ、落ちる体力、たるむ皮膚。何も言わないのに「まだまだお若いですよ」「まだそんな年じゃないでしょ」とか気を遣い出す周囲。母のような包容力を当たり前のように求められたり、実績を上げた仕事よりおばさん的な度量のデカさを評価されたり。坂を転げ落ち始めたら、そのスピードを遅らせることはできても、もう止めることはできないのです。

 

でもどうせならよりよくおばさん化したいじゃないですか。だから今年ははなっから「いかにより良くおばさん化するか」に前向きに取り組んできたのです。

www.nhk.jp とりあえず、上半期はこれ↑めっちゃ見てました。

 

しかしながら、自分の浅知恵や経験値の低さからか「よりよいおばさん化」への道はすぐに難航し、ことごとくその決意は打ち砕かれてきました。

「おばさん化」するのはどうやらけっこう難しいらしい。ましてやより良い「おばさん化」への道は険しく、そして思っていたよりずっと長かった。

hase0831.hatenablog.jp 9月にはこれを読んだ↑

はせおやさいさんのこちらの記事には「おばさん」の時期は意外と長い、と書かれていて「それな!」と思いました。 おばさん→おばあさん の間が意外と長い。なんなら「おねえさん」でいた時期よりずっともっとエンエンと続く。それに加えて「おばさん」になるのにはかなり胆力がいるのです。

自分としてはもっとシンプルにおばさん化していく予定だったのに、「こんなはずじゃなかった」の連続でした。

詳しくはプライベートなことなのであまり多く語れません。

例えていうならこんな感じです。

「スタバ」か「マック」か、みたいな話かと思っていたのに、実際は、とりあえず手軽な「マック」ばっかり行ってたら知らぬ間に周辺のスタバはどんどん閉店してたみたいな感じ


若い頃は、「おばさん化」って「美魔女か、女をあきらめるか」みたいな話だと思っていました。しかし実際は、「オンナ、、、である必要は今は特にないよな?」を繰り返しているうちに選択できる「美魔女」の手立てはもう残ってない、みたいな感じでした。

日々、小さな老化現象をちょっとずつ発見し、ひとつひとつそれを受け入れざるを得ない、そんな毎日の積み重ねが「おばさん化」することの実態でした。

あるいは美容のことだけじゃなく、いつでもできると思っていた「いつかああなりたい」という理想へのルートは、すでにもうたくさん絶たれていた、ただそれを見ないようにしてきただけだよね?ってことをひとつひとつ認知して手放していく毎日。

つまりスタバ行く人はもう若い頃からずっと日常的にスタバ行ってるからね、って話。健康の話にも繋がるかもしれません。

毎日運動しないとみるみる太るけど、みるみる体力が落ちてきて毎日運動が続かない


体力をつけたいから運動量を増やしたいが、基礎体力がみるみる落ちてきて、気がついたら毎日運動を続けられる体力自体がないんですが。体力つけるより体力落ちるスピードのが格段に早くなったので追いついていかない感じ。若い頃は始めたらそれなりに体がついてきてもっと続けられた気がするんですが。

体力のことだけじゃなく、なんでもそうで、自発的な持続力がちょっとだけ落ちたので、習慣化するポテンシャル自体がなくなってるような気がしています…自分の意志力以外の外的要因にきちんと頼らざるを得ない感じです。

つまりこういうこと

「絶対にこれ着たい」と思って買ったハズの服が、手に入ったら「実際は全然着ないなあ」の連続


あんな風に素敵なおばさんになりたい、周りを気にせず好きな服を着たい、とにかく服で自分の気持ちを上げたい、と思って買ったハズの服なのに、手に入った時が気持ちのテンションMAXで、あとは全然着なかったりすることが増えました。着ても似合わなかったり、しっくりこなかったり、使い勝手が悪かったり、「なんかちがう」と思って全然着なかったりする。

服の件はあくまでも例えで、「事前に自分が所望するもの」と、「実際に自分の要求を満たすもの」が大きくズレるようになってきたということなのです。まさしく「こんなはずじゃなかった」の連続でした。

どうやら、自分は「着たい服」じゃなくて「毎日着る服」を選ぶフェーズに入ってきたようなのです。なりたい自分になることを選ぶ、じゃなくて、自分らしくいられることを選ぶ、みたいな感じか。

だけどそれを実行するとなぜか周りが黙っていないのも「おばさん化」アルアルでして。

「着飾るのも疲れたし楽な服着たいな」と思ってスウェットを着ていたら「いい年だからもっとちゃんとしたほうがいい」だの「そんな風に女を諦めちゃダメです悲しい」だの挙句には「そういうだらしない格好の方がかえってそそるから良い」だのとおよそ見当違いなクソバイスを色々もらうなど


これもあくまでも例えなのですが、自分が思い描いていた「おばさん化」と、社会的(?)に求められる「おばさん」とに差異があるため、見当違いなアドバイスや評価を受けるようになりました。なんだろう…もう「女」としての商品価値を見定められる市場から降りていいと思って実践しているのに、より混沌とした闇市に投げ出された感じ。

「おばさん然としていろ」圧と「おばさんにならセクハラしてもいい」バイアスと「おばさんもオンナらしく扱われるべき」気遣いと「おばさん的自虐の呪いをかけないで」後続世代と「おばさんもオンナである」ガチ勢と、それら全てが混在しているような。おまけに「おばさんになら何言っても受け止めてもらえる」という謎の甘えが社会全体に蔓延していてみんながみんな遠慮なしに言ってくるようになる。

めんどくっせええええ。

酔っ払わないと自分の本音も語れない大人をカッコ悪いと思っていた。なのに現実の自分はもはや酒でも飲んで語られないと自分の本音がどこにあるのかさえよくわからなくなっちゃっている。

今年一番「こんなはずじゃなかった」のがこれで、「こんな自分いたんだ」って発見がめちゃくちゃいっぱいありました。(酒の話はあくまでも例えですが)「おばさん化」する過程の中で、自分が思ってる「自分」と、周りから認識されている「自分」と、両方ひっくるめて自分がなりたい(見せたい)「自分」っていうのが、全部が全部かなり大きく違うんだなってことに気がついた。で、結局どれが本当の自分なんだかよくわからなくなっちゃいました。

私が思っていた「おばさん化」ってもっと揺るがない「自分」あってこそのものだったのですが、その根底がめちゃくちゃ揺らいだ1年でした。

それどころか、世の中の多くの人たちも皆、自分で思っている「自分」なんてものは真の本音のほんのちょっとごく一部に過ぎず、自分のことをちゃんとわかってる大人なんて実はそんなにたくさんいないんじゃないかなあ、と疑ってすらいます。

 

おわります

久しぶりにブログを書きました。半年ぶりですかね?公開する決意が揺らぐ前にとりあえずいきおいであげちゃいます。実は私はいつもこうやって日常バレしないよう内容をぼかして例えることでブログを書いてきました。これが私的な日記の書き方なのです。

来年はもっとブログを書くぞい!

ブログを習慣化しているおばさんはたいそう素敵だと私、思います。そういうおばさんに私もなりたい。

 

今週のお題「日記の書き方」