ままゼロブログ

人生に退屈しているときにたまに書いている趣味のブログです。

どうして私はママ友ゼロ人なのか?

当初の「ママ友の定義」(勝手に)をふまえたうえで、なぜ自分にママ友がいないのか、ムダに考察してみたいと思います。

mamazero.hatenablog.com

 

仮説1「ママ友」という言葉にこめられている「ママという共感性」にどうあっても馴染めない

 

「ママ友」という言葉は“子供がいる”という共通性だけで友だちになった経緯上、「私たち、同じママだから仲間だよね(同じクラスだから仲間だよね)的な馴れ合い」感を払拭しきれません。昔から「トイレ一緒に行かない?」「私も行く〜」「私も〜」に拒否反応が出てしまった自分(「別におしっこしたくないのにあんなクサイとこわざわざ行かねーべ」)にとっては受け入れがたいと考えられます。

 

仮説2「ママ友」から密かに見放されるくらいヘタレである

もしかしたら自分が「ママ友」と思っていないだけで、周りからは「ママ友」とカウントされてるかもしれない。しかし、「ママ友」と思ってくれてた人が、しばらくするとそっと離れていくくらい、自分のコミュ力と人間性が希薄である。

 

子供を介して知り合ったはものの、自分の子育てを全く語りたくない私に、共感性だけがほしい相手はさほどの興味もわかないので会話が全く盛り上がりません。そうこうしてる間に次々とママ友を増やしていく社交性の高い方々の記憶の外に追いやられていったのではないでしょうか。

 

仮説3「ママ」と呼ばれることに慣れていない

そもそも自分が「ママ」になれない人に「ママ友」は作れない。「●●ちゃんママ」と人から呼ばれただけで顔がこわばってる人に「ママ友」つくれるハズもない。自分の母親のことを「ママ」と呼んでこなかった人が「ママ」になるのはそもそもハードルが高すぎる。

綺麗なママ友

「ママ」ってなんとなく小綺麗にしていて大人で社交性のあるすてきなサラリーマン妻のイメージで、とても自分とはかけ離れています。例えると「ギャル」とか「お姉さん」とか「セレブ」とか「ステキ女子」とかと同じくらい自分とは乖離してるイメージ。そうじゃない、私は「文化系」「おばさん」「庶民的」「モテない系」であり、「ママ」でなく「お母ちゃん」であるという低そうで高いムダな自意識ゆえに苦悩しているのだと考えられます。

 

まとめと反省

自分の中でママ友がいないと思っているのは、そもそも子供を介した知人のことはすべて「知り合い」「同級生の親」と呼んでいるせいです。この「知り合い」は会社での「同僚」、「同級生の親」というのに近く、かつての学生生活での「クラスメイト」にごくごく近い感覚です。特別深い仲になった「同僚」や「クラスメイト」は、気がついたら「友だち」と呼んでいるものですよね。だからただ幼稚園でいっしょだっただけの人とか、もう、中学ん時と同じで「クラスメイト」「元クラスメイト」呼称でいいと思うがどうかね?「ママ友」じゃなくて「ママ知」でいいと思うがどうかね?

 

無論、中学ん時「クラスメイト」のこと全員「お友だち」って言えてた方々は大人になっても「ママ友」がたくさんいて、誰とでも一緒にコストコ行けるにちがいないがね。

 

 

 こちらも参考に。私のクソこじらせぶりがよくわかる記事です。

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