オッス!おらタイクツ!みんな、ママ友ってスッゲーめんどうくせえの知ってっか?でもネッ友の方が気楽でいいや、なんていってたらおおまちげえだぞ。実はネットの世界も摩訶不思議幻摩大戦アドベンチャーだってんだから、おらぁわくわくしてくっぞ!(夢のコラボ!?)
そんなこんなで(どんなこんなだか)、前回まで行なっていたアンケートの結果を今日はひっそりおしらせいたします。(今日はイラストも全流用です。すみません)
ママ友とネッ友、どっちがよりめんどうくさい?
先日、こちらの表題のもと、記事を書いてアンケートを集めました。まあネットでアンケートとってるくらいだから当然、「ネッ友バイアス」かかるでしょうと当初は思っていました。
そしてリアルのママ友のが当然めんどうくさいよね、ネッ友サイコー! ちゃんちゃん♪とおわるはずだったのですが・・・
なんと私の想定した以上にコミュ障シャイな方々からお応えいただいたみたいで「どっちもめんどうくさい」が逃げ切りました!全国で56人くらいの読者の方々、本当にご協力ありがとうございました!
この結果を世の中の縮図とは決して思いませんよ。これは言わば
「ママ友ゼロ」バイアスだよね
このブログを呼んでくれてるyouたちのなかには「ネットもリアルも関係ない、とにかく人づきあいがめんどうくさい」という方々が多いんだよね!そうだよ!わかってたよ!youたちのために書いてるブログだよこれは!!
相手が人間だったら媒体が空気だろうがネットだろうが関係ないということでしょうか(* ´艸`) / “【徹底比較】ママ友とネッ友、どっちがよりめんどうくさい?【第1回戦】 - ママ友ゼロ人できるかな” https://t.co/vVhqrzwFvA
— 白金ちな (@shirogane_tina) 2017年3月10日
って初回のブコメで、白金ちなさんも指摘してくれたくらい明白だった結果さ。
そんなyouたちに向けて今回のシリーズをサクッとまとめてみるよ。
ママ友やネッ友は本来は有益な関係性にある
なんども言うけどママ友やネッ友は本来そんなにめんどうくさくない存在です(いきなりyouたち全否定!)。うまくやれば、挨拶や軽い情報交換などでさらっとつながれる、ゆるくて快適な関係なのです。
ここでも書きました
そして、そういう弱い関係性の方が有益性の高い情報が集まると提唱した社会学者がなんと数十年も前にいたそうですよ。このことを「ウィーク・タイズ」を言います。
諸説あるとは思いますが、「深い絆=友だち」は「主観的な体験」「刺激的な関係性」を与えてくれるけど、「弱い絆=知人」は「客観的で有益な情報」「心地よい関係性」を与えてくれます。これらは全然異種のもので両方とも大切なつながりなのです。実はどちらの関係のが格上とか比較されるべきものではないのです。
なのになぜ「ウィークタイズ」がめんどうくさいものになってしまうのでしょうか?
「ママ友」「ネッ友」という存在のあいまいさが私たちを疲れさせる
まずこの文字列見てくださいよ、「ママ友」「ネッ友」。本来「知人」であるべき存在をなぜ「友」と称して中途半端に狭く深くかかわり合おうと過度な期待をしてしまうのですかね?
なぜ公園で時折会う名も知らぬような子どもに「ブランコ貸して」って出し抜けに迫られた娘に「オトモダチに譲ってあげようね」なんて言わざるをえないのでしょうか?(ともだちじゃねえーし!)
それは「知人」と「友だち」をはっきり分断することに罪悪感があるからなのだそうです。
ウィークタイズと罪悪感についてはこちらを参考にしました。素晴らしくわかりやすいので私のエントリなんて読んでないで早くこのリンク先に行きなさい。
つまり「ママ友」とか「ネッ友」はこれらの罪悪感を紛らわせるために生まれた、日本人特有の「あいまい表現」 なのです。(って勝手に私が思ってるだけですが)「知人」なのに「友だち」を偽装しようとするからどっちつかずで疲れる、このあたりが「ママ友もネッ友もどっちもめんどうくさい」の肝だと考えられます。
なぜ「友だち」と「知人」を分ける罪悪感に囚われ続けるのか?
この罪悪感は、人とのつながりに「有益性」だけを求めるのは打算的で嫌なヤツである(スネ夫理論)という価値観から来ているのだと私は思います。相手との関係性に感情移入しないのは「卒業式に泣かないと冷たい人って言われそう」と気にする斉藤由貴と同じなのではないでしょうか。(「卒業」理論)
そしてこの罪悪感は「同調圧力」のもとで「他人の目」を介して循環し続けます(冷たい人って言われそう→ここね。他人の目が起点)。
「いいねしないと自己中って思われそう」「ママ会行かないと付き合い悪いって言われそう」「共感しないと感じ悪いって思われそう」と苦にするみんなの罪悪感がぐるぐる回り続けて「ママ友付き合い」「ネッ友付き合い」のおかしな「めんどう」を形成しているのです。
だからまず罪悪感を捨て去ることが、楽になれるポイントになるのではないかと思います。たぶん、「めんどうじゃない」って人はこのへんの割り切り方がすこぶるうまいんだ!
逆に割り切れない人は、自分がそうやって誰かに軽く拒否られたり、「冷たい人って見られる」ことに敏感に気づいて傷ついてしまう人たちでもあると思うんだ!だから、人を傷つけないように、そして自分が傷つかないように、ひたすら気を使いまくって疲れてしまう。そりゃめんどうくさいよね。
まとめ
昨今、つかの間のリア充すごしていて気づいたのは、人づきあいで「これ以上気を使うのめんどうくさいな」って思ったら自信をもって「深いつながりじゃないんだからここから先はno!」って突き放してもいいんだってことです。
そして同じことを相手にやられたとしても「自分が軽んじられた」などと傷つく必要は全くないということ。
だって「知人」と「友だち」を比べるなんていちごチョコといちごを比べるくらいにナンセンス。(と少女マンガみたいなたとえにしてみたり)いちごを「いちごチョコより甘くない」と軽視したり、いちごチョコを「まるでいちご(青果)扱いされない・・・」などと苦にする必要はないでしょう。「知人」は「友だち」のように深く関われなくても(丁重に扱われなくても)苦にする必要は全くないのです。もっと別の、いい関係性を築いていくことができるのだから。
だからもう罪悪感や不信感にもやもやしなくてもいいんだ
ママ友 → ママ知 でいいんだよ
それらをどううまくやりぬくかってのをこのブログではこれからも伝えていくよ!
と、もうすぐ一周年なので仕切り直しみたいなことを最後に言ってみたりしました。以上、おしまい。
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