おばさん化する自分を書き留めておきたかったはずが、何も書き留めないままにもう2年半が経過してしまった。
46歳となり名実共に立派なおばさん化を果たした現在の私は、他人から「おばさん」と呼ばれてもはや何も感じない精神性を手に入れた。身も心も「我はおばさん」を自認した。「おばさん」って自称して若い子に「そんなこと言わないでください!」って怒られてももはや「そう?ごめんなさいね」と優しく返せるし、おばさんを自認する事に対し羞恥心も罪悪感もわかない。ただ、罪も恥も感じないというよりはむしろ、ただただ「自意識の感度が退化した」だけのような気もする。
↑4年前におばさん化するにあたって参考にした本
おそらく、世の多くの人が、「おばさん化」とは「自意識の鈍化だ」と決めつけているような気がする。そして、それは全然間違っていない。どんなに頭振りかぶって「一般化するなよ」とか「若さ自体にバリューを置くこと自体が偏見だ!」とか「一部の意識高い系はちゃんと自意識過剰だ!」とか的外れな反論わめいたってしゃーない。シンプルな事実として、年を重ねれば誰しも「自我」が飼い慣らされるし、対外的評価への興味も遠のくというものなのだ。自意識の鈍化は「老い」の一部であり、理想の自分へのあきらめであり、社会通念への無意識の迎合でもある。
natgeo.nikkeibp.co.jp 分子レベルで急変してるんだから受け入れるしかないだろう
ただ本当はね、肥大しきった私の自意識がしぼんでいくその過程と葛藤をこそ、このブログには書き連ねておきたかったよね。ブログを読んでいておもしろいところって、本来そういう恥ずかしい自己意識の露呈でしょ?
リアルな脳内会議の言語化と記録こそが、ブログの醍醐味ってやつでしょう??
そこをわかってはいながら、どうしても実践できなかったのだ。
瓶の底の方にわずかに残っていた私の「尊大な羞恥心」が「インターネットの海にそういう生き恥を垂れ流して厚顔無恥って冷笑されるのだけは断固イヤ」と拒絶したのだ。
よかった、まだビンビンに感度高かったのよ、私の自意識。
そうして公開が憚れた4年間の恥ずかしい文章たちは全てこのはてなブログの下書きの中に眠っています。つまり、恥ずかしながら、ブログ自体は非公開で書き続けていたのである。読み返すと恥ずかしさの極みだ。なぜ、なぜこんなくだらない自意識を捨てられなかったのかと思うと「わーわーわー」と叫びのたうち回ってしまいたくなるくらいの自己憐憫の数々。いっそ無かったことにしてしまいたいです。
しかしながら。おばさん化に成功し、いよいよ恥じらいも自意識もなくなってきた今の私は、それらを小出しにしてもまだブログを書き続けていこうと考えています。もう人に楽しんでもらえれば私の恥なんてどーでもいいんじゃないかなって。すがすがしいほど「おばさん」な厚顔無恥になってしまいました!そんな些細なプライドが守られることよりも、このあと、おばさん化することをこじらせていくであろうたくさんの後続の方達に取りましても、正しくダメなおばさん化の指標(墓標)となる方が楽しいし、そういう読み物を書いてる自分のが面白そうではないかと思うのです。
ダメじゃん、やっぱり私の自意識カッスカスに退化してるううう!!!
つづきます
