前回、「ママ友はスクールカーストではどの知人にあたるか」について検証しましたが、そのスクールカーストがいかにママ友界より恐ろしかったか、についても、追々記録していきたいと思います。
というのも、私がママ友0人なのは、そういった過去にルーツがあると考えられるためです。
「仲間はずれ」は集団的自浄作用では?(仮説)
最近「ママ友」トラブルで多く聞かれるのが「仲間はずれ」「LINEはずし」だったりしますが、人間というのはツールや時代に関係なく、限られた集団の繰り返される日常があるだけで、「はずしっこ」をする習性があるのだと思います。これは高度な「群れ」生活を送る人間には欠かせない集団統制術なのではないでしょうか。
「群れ」のしきたりに従わない者がいると、自然発生的に誰かがそれを警戒し、更正させ、できなければ排除し、「群れ」全体が崩壊する最悪の自体を回避する自浄作用が、個々の人間に本能的に備わっているのではないかと、私は考えています。(あくまでも仮説です)
それが度を越すと、「いじめ」や「村八分」に発展するだけなのではないでしょうか?
つまり「群れ」を維持するために必要な「馴れ合い」の裏返しが「仲間はずれ」なのです。(この件についてさらに詳しく書いた記事はこちら↓)
だから小さい頃から遊びの中でその社会性を学ぼうと、女子は「仲間はずれ」ごっこをするのではないのかな?と私は考えています。
保育園時代の過酷な遊び・仲間はずれごっこ
私の通っていた保育園では、なんと日替わりでクラスの中の1人をターゲットに決めて、ムシしたり、仲間に入れてあげないという残酷すぎる遊び「仲間はずれごっこ」というのが流行っていたそうです。
と言うのも、私はそのこと自体を中学生になってから初めて知ったのですが、私の場合、なんとその「仲間はずれごっこ」からもはずされていたそうなのです。
「仲間はずれ」からもはずされてたんだから記憶にあるハズないわな!!!
自分的には、いろんな友だちとその日暮らしで毎日楽しくやってた保育園時代でした。しかし、もとクラスメイトに聞かされた真実は「アンタはいつもぼーっとしてて、1人でも楽しそうにヘラヘラしていて、仲間はずれをされても効果なし、させてもターゲットに勝手に話しかけて全然まわりに合わせなかったから、いつもメンバーにカウントされなくて心底羨ましかった」というのでした。
このように、人間は幼少期から高度な集団性を持ち合わせており(特に女子)、周囲に歩調を合わせることに敏感に暮らすことができる優れた生き物なのですね。
しかしそういう心の機微を持ち合わせていなかった自分は先のことは全く読めず、「宵越しの金は持たねえ」が江戸の商人なら、「宵越しの友は持たねえ」が私のコミュニケーションでした。とにかくその時の気分で遊ぶ相手をコロコロ変えていく根っからの浮気性かつ八方美人であったのです。
八方美人はもともと女子ウケしない
そんな私が一転、危機にさらされたのが、小学校の登下校でした。
経験された方も多いかと思われますが、女の子は「一緒に帰る人」(いわゆる通学路派閥)を決める傾向にあります。
私にも親に決められた登下校仲間(女子派閥)がありましたが、ぼーっとしてるせいか(帰属意識が薄いせいか)小学校入学当初から、仲間はずれのターゲットにされるハメになりました。
小学生の社会では、どこにでもいい顔する八方美人みたいな子はよっぽどの愛嬌がある子でないと嫌われる傾向にあります。私は空気読めないヘタレの上にさらに八方美人だったので当然女子ウケは良くなかったと思われます。
続く↓