ママゼロできるかな

ママ友との馴れ合い活動に疲れた時に、全国で56人くらいの読者に向けて書いています。「ママ」で括られたもろもろ(ママ友とかママブログとかママ会とか)をゼロに帰するための悪あがきブログ。

大人の自由研究・もし社会からPTAが消えたなら(仮説編)

最近インターネットでも熱い議論になっているPTA不要論ですが、そろそろ何か具体的な有益性について知りたいですよね。

任意加入だとかしがらみドロドロとかジェンダーフリーとかアナログ地獄とか、そんな議論よりも、具体的にPTA活動がなくなると何が困るのか?ということを手っ取り早く知りたくはないでしょうか?

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 横のつながりができるとか、子どもの教育に関われるとか、内申点を底上げできるとか、活動の結果得られる個人的なメリットはもうわかりました。でもそれは全部結果論であって、PTAの存続意義ではないような気がします。

 

そんなわけで今回は大人の自由研究と称して、PTAがもしなくなったら具体的に何が起こるのか?について考えてみたいと思います。(夏休みは身近な「不思議」をテーマに研究をしてみろとか学校のプリントに書いてあったのでね)

例によって、まずは前編にて私の狭くて浅~い見地から好き勝手な仮説をおっ立てていきます(あくまでも妄想)。それから、後編にて仮説を一つ一つ調べて検証し、考察していきます(回りくどいですね)。検証編とセットになりますので、 何卒ご理解いただきますようお願いいたします。

 

 そんなわけで、あらゆる方面からご批判を受けそうな

仮説編目次

 

もし社会からPTAが消えたなら~仮説編~

クレヨンしんちゃんの「ぞうさん」がもう一度見られるようになる

私の最も古い記憶の中では、PTAは「風雲たけし場」に文句を言ったり「クレヨンしんちゃん」に「教育上良くない」とか猛抗議して内容を変えさせたりするような団体でした。
表現規制については、このシリーズの表題にもなっている「くたばれPTA」の風刺説話を読むと参考になります。
 
しばらくすると風雲たけし場は見れなくなり(別にPTAのせいではない)、クレヨンしんちゃんは「ケツだけせいじんブリブリ~」という新しいギャグ(とても実在の子どもが真似できそうもない高度な体術)をあみ出していました。
 
だから単純に、子ども番組の「見えざる表現の不自由」が少しだけ緩和するのでは?と考えました。個人的に「Dr.スランプアラレちゃん」の昭和版を見て、このウンコギャグをもう一度テレビで見たい、という念に駆られただけなのですが。
と言うより、実はもっと大規模な話で、教育界のご意見番、のような役割があるんじゃないかと推測されます。教育という何か閉塞的なシステムに、権威ある要望書や陳述書を出せる唯一の民間団体と言いますか。抑止力という権利がなくなるというのは、短期的には何も変わらなくても、長期的に「じわる」ものなのです。(たぶん)
 

どうせエライ人達の利権がらみが崩壊するだけ

なんだかんだ、PTAとかって〜政治とか地域とかと縦のつながりがあるじゃないですか~。利権がらみの臭いがプンプンしますよね〜。でもこれ以上暴言吐くと、闇討ちにあいそうなのでやめておきます。

クソみたいな責務を乗り越えて得られる地域や先生や保護者のつながりがなくなる

よく、PTA役員やった人が「大変だったけど、なんだかんだで、色んな人とのつながりができてよかった」と言うのを耳にします。。。
 
っつーかそれってPTAありきのメリットかな?
 
仮にPTAが保護者のつながり形成の場として機能しているとしても、ベルマークとか会員講師による講習会とか、意義を度外視した苦行やイベント運営を通してメンバー同志の連帯感を得るのは目的と方法がアベコベなのではないでしょうか。
 
それに、もし仮にPTAがなくなったとしても、町内会とか子ども会とかNPOとか、別の組織が「つながり」の媒介として新しく機能していくことは容易に想像ができます。
 
ただ、個人運営的な「ママ会」「学校を良くする会」みたいな組織から端を発しても、やれ派閥争いやらしがらみやらで進むものも進まなくなりそうです。結局、なんだかんだ言って既存のPTAをなんとかしていった方がまだ公共性が保ててやりやすかったな〜とかなんとか、後悔はしそうな気がします。
 

なんかの関係性や学校行事の再編に、ものすごい労力を費やすことになる

PTAがなくなって物理的業務が一番増すのが当然学校の先生になるかと思われます。しかし、彼らは今でさえサービス残業のオンパレードで土日祝日返上して仕事をしています。(実は公立私立含め教師の知人が数名いるのですが)もしPTAが担ってる役割がそのまま先生に負わされることになったとしたら、彼らが過労で大変なことになることは、想像に難くありません。
 
その結果、子どもの教育向上を願う保護者有志(意識高い系)が自発的に学校運営を手伝うことになり、またPTAみたいなものの再編になるかと思われます。
結局、すでに組織化されたものを改変するのも、一度白紙に戻して再編するのもものすごい労力が要ります。そして最後に「誰かやる論」(批判が高まるも誰も改革をやりたがらないが自分じゃない誰かがやるべきといった不毛な議論)に陥ります。

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保護者が学校への帰属意識を無くし、教育が他人事のようになる

それでも、PTAがなくても子どもの学校教育に積極的に関われる、という人はむしろなんの問題もないのです。しかし、もともと活動力の低い人間(意識低い系)は当事者ではないことには関心を失い、楽な方に流され、他人任せになる傾向があります。その昔、ACジャパンのCMでも「子どもの人形を投げつけ合う」こんな表現がありたいへん話題になりました。

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もしかしたら、PTAやその責務が、そんな人たちの当事者意識を高めて維持してくれているのかもしれません。この帰属意識が薄まることで、教育の義務を放棄する親やモンスターペアレントが増える可能性も、あるいはあるかもしれないと考えました。

 

仮説編まとめ

やはり、全体的に「なくなることのデメリット」がぼんやりしてるんですよね。これでも際どい所を攻めたつもりですが、検証編での回収が大変になるので「ぼんやり」にとどめておくことにしました。
 
PTA不要論については近年の意識の高まりで切り口は出尽くしたように感じます。なのでそろそろ「何が必要か?」の議論について、全会員で取り組む時期に入ってくるのではないかと予感しております。そうなった時に「ぼんやり」ではなく自分の考えを持っていなければヤバイ、と少々危機感をもちました。
 そんなわけで検証編は割と本気で取り組みますのでしばらくお時間をください。 

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〜ここからは蛇足とお知らせ(検証編の更新後に削除します)〜
検証編はまだ準備中です。夏休みの宿題提出期限内には間に合わせたいなあ。。