ままゼロブログ

人生に退屈しているときにたまに書いている趣味のブログです。

「ママ友」という言葉にモヤモヤした感情を抱く人の深層心理をこじらせてみる

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子どもができてから、独身の頃の未婚の友だちに会うと、決まって「ママ友ってなんか面倒くさそう」と言われませんか。 また、初めての育休中の後輩には何やら怪訝な顔で「ママ友関係、大丈夫でしょうか?」と相談されたりしませんか。

 

さらに、高校時代の友だちに会うと、すでにママ友とうまくやっていそうなのに「やっぱり昔の友だちはいいね、ママ友とかめんどい。」と言われたりしませんか。あるいは1人もママ友いないのに「ママ友作りたくないのでゼロ人目指す」などとまとこしやかに言うやからも(私ですがね)いたりしませんか、経験していないのになぜわかるのか!?

そこらへんのもやもやについて、その「ママ友」にまつわるモヤモヤした感情の正体を、私が諸々こじらせて解明してみます。

仮説1とにかくもうなんだかドラマ「名前を失くした女神」のネガティブキャンペーンの影響

以前も書いたのですが、なんだかとにかくもうこの影響力がでかすぎました。

アレを見た独身女性達はみな一様に「腹まで痛めて生んで過酷な乳幼児育児終えてようやく一段落してもさらにママ友地獄が待っているか」と恐れおののいたにちがいありません。

ましてや、これまで女社会を20年以上生き抜いてきた強者どもはみな、経験則からわかっています。。。「いや、確かになんかありえそう、こういう世界」と。

その反射神経(防衛本能)から、「ママ友関係=面倒くさそう」と察知しているのが「イヤ〜な感情」の正体なのではないでしょうか。

仮説2これまでの経験則により、ママ友たちの上で不毛に空転し続ける「馴れ合い」と「本音」のメリーゴーランドが見えるのでなんだか嫌〜な気持ちになる

よく、「ママ友関係は本音と建前が別」とか「いかに馴れ合いだけで上辺だけのつきあいをうまくやるか」とか「腹の探り合い」とか言われています。

しかし、本当にそうでしょうか?本音を隠して上辺だけでテキトーに軽く浅く付き合って行くのって、至極ラクじゃないですか?腹のうちや本音ばかりを曝け出して衝突しながら丁寧に深く付き合って行く方がよっぽどしんどいじゃないですか。

だから本当は、建前だけの世界がツライのではなく、

建前の中に本音をいかに自然に組み込みながら、探り探りうまくやっていくかという試行錯誤

が、みなさんが「しんどい」と思われている本質なのではないでしょうか?

今まで20年以上も女社会を生き抜いてきた猛者達は(2度目ね)、経験則から察知しています、その、ママ友関係の上で不毛に空転し続ける「建前」と「本音」のメリーゴーランドの存在を。 それが見えているから「なんかイヤ〜」な気持ちになるではないでしょうか。

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仮説3「私たちって同じママだから友達だよね」は同じじゃないし優劣探しの裏返しだから

人間社会は常にカーストを形成したがります。それは、集団本能のサガ、ほんのちょっとの差で上下関係を作ることで、集団社会は統治されやすくなる、というサル山群れ理論における生きる知恵。しかしこと「ママ友」に関してはそれがマイナス面に出やすいようです。

そもそも「ママ友」って多種多様なオンナ達の寄せ集めなのに、大雑把にひと括りしすぎだと思います。そんな異種生態の民族を一つの柵に押し込んだら、その中でより誰が優位か、劣勢か、「隣の芝生が青い」「隣の花は赤い」の連続になるのは必然で、「ママ友」ってカテゴライズの雑さが無用なシガラミを形成する弊害になっているのは目に見えています。

長い学校生活で得た経験則によって、むやみやらたと「集団に平準化される」ことの弊害が、「いじめ」や「暗黙カースト」なんかの歪みとなって現れる環境効果を身を持って知っているため、「ママ友」にモヤモヤした嫌気がさすのも当然と言えるでしょう。

news.careerconnection.jp

仮説4ただただ本当は何よりも自分が面倒くさい人間だから

しかしながら本当は、みんな、わかっています。そういった優位性の探り合いや、嫌な付き合いの試行錯誤のすえにようやく、本当に気心の知れた友だちができることを。逆に、それをしなければ本当に仲良くなどなりえはしないことを。

それでも、「もうそういう友だちいるからこれ以上いらない」「不用意に傷つきたくないからいらない」「生娘の頃のように、無垢に飛び込んで行ける勇気がないからできない」「もともとそういう才能ないから、ママになっても同様にやりたくない」「ママ同士だから仲良く、とかいう無意味な強制力に従いたくない反骨精神」(←自分はコレです)などのどーでもいーよーなどーしよーもないよーな理由により、「ママ友いらない」と思ってる人々も多々おられます。

そういう方々は、しかし人知れず、世の中の「ママ友いた方が何かと子どものためにもいいんじゃない?」という「自明の理」にもまた敏感です。裏を返せば、それを意識しているからこその拒否反応なのですから。

この「子どものためにも」という所がミソで、「いい母親になりたい」と思うごくごく社会的な自意識の一部分が、そのためだけにムダに心を痛めています。 「子どものためにいい母親でいなきゃいけないのに、どーでもいい自分の不甲斐なさのせいで、できもしない」そんなこじらせを抱えた人々もまた、「ママ友関係」と聞いてイヤ〜な気持ちになっているのかもしれません。(っつーか私はなっています)

 

まとめと考察

以上です。さて、そんな方には一言だけ言ってあげられることがあります。「ママ友いた方がいい母親」は幻想です。また、「いい母親にならなきゃいけない」それもまた幻想なのです。 幻想じゃなくて現実の目の前にいる子どもを見てりゃあいい。そのがよっぽどいい母親じゃないか。と私は思いますがいかがでしょうか。

コチラも参考にしました

192abc.com