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ママゼロできるかな

ママ友との馴れ合い活動に疲れた時に、全国で56人くらいの読者に向けて書いています。「ママ」で括られたもろもろ(ママ友とかママブログとかママ会とか)をゼロに帰するための悪あがきブログ。

心地よい「馴れ合い」と「仲間はずれ」はニアイコール

今週は、特に「馴れ合い」と「仲間はずれ(排除)」について「ママ友」の特徴とともに深堀してきましたが、この作業を続ける中で私は大変恐ろしいことに気がつきました。

それは「集団行動」「馴れ合い」の空気に馴染めない私自身が、実は「馴れ合い」行為大好き人間である、という衝撃の事実です。

 そしてその心は、「馴れ合い」は異質物同志のぶつかり合いをおこりにくくする処世術であり、同時に「仲間はずれ」をおこりやすくしているということ。

 

ママ友のこわさは「異質性」を認めない「集団性」=「仲間はずれ」

 今日の参考トピックス

 

 

「ママ友」に困ったときの“神対応”教えてください! : 編集部からのトピ : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 

こちら↑は昨年大変話題になった本「ママ友がこわい 子どもが同学年という小さな絶望」というマンガに即し、かの有名な発言小町にて出版編集部から立てられたトピックスです。

 ところが、さすがは小町さん、トピックス内容を毛頭無視して(もはやほとんど神対応なんざ投稿されていない)このマンガの主人公ディスが猛然と巻き起こります。(作品なんですが!!)

 

 【要約】主人公サキは幼稚園のママ友リエに冷遇されている。ママ友の中でも中心的なリエの影響でサキは徐々に孤立化していくが、元はリエとサキが一番の仲良しだったのだ。一体何をきっかけにこうなったのか?精神的に追い詰められていくサキと、彼女の回想の中から探られるリエの心理、交錯する感情だけがストーリーの基軸になる閉鎖的な世界観。シンプルな描写によってママ友間の歪んだ感情だけがむき出しに際立つ、よく練られた秀作です。

 

小町を読んでつくづく、「ママ友界とは、異質なものを排除し、とことん居心地の良い居場所を作るためだけの協会なのだな」と感じました。ママ友のこわさを表現した本のレビューでママ界のこわさ見せつけてくれましたね。(むしろ、「発言小町が世界という小さな絶望」。。。)

 

でも無難(居心地の良さ)にまとまるなら「馴れ合い」は合理的

 

少しわかりにくいので、私の体験談から解説させていただきます。

 

私はすでに10年以上も同じA保育園に子どもを通わせています。そこの保護者達は、みな一様に合理的で賢く、「いじめ」なんかとはほど遠い常識人達です。だからママ友ゼロでも、今までずっと気持ちのいい、心地よい距離を保った付き合いを続けてこられました。

 

そしてこの方々は、私も含めて「馴れ合い」がとても上手です。お互い様、お互い様と感謝しあって、協力・負担しあって、あまり衝突しあうことなく、異なる意見や立場も尊重しあって上手に人間関係を築くことができます。

 

これは、色々な考えの人がいる中で小さないざこざを起こさず円滑にやっていくためには、自分の意見は殺して「馴れ合い」的に寄り添っていく方が、合理的で至極楽ということです。そうしてうまく関係を築けたところに「居心地の良さ」が生まれます。

 

「合理性」という集団心理もまた「仲間はずれ」を生む

一方、私には1人だけちがう保育園に通う子どもがおり、B保育園にも通っています。

 

こちらではA保育園の様に合理的な方ばかりでなく、「非合理」的な方々も多々おられます。必要以上に園にクレームを出す人、保護者会で無用に目立ちたい人、ちょっと変わった志向の人、一度も園に顔を出さない人などなど。

 

こういう方がおられると、「馴れ合い」上手な方々は、自然と遠めの距離を置こうとします。合理的だからです。あまり話しかけなかったり、会話が弾まないので挨拶そこそこになったり、なんとなく遊びに誘わなかったりしています。

あくまでも、自己防衛本能なのでしょう。余計なことに時間を割かないための。また、心地よい居場所を作るための。

B保育園ではそういった個性的な方々が複数人おられるために孤立こそしていませんが、これが個人であれば、程度こそ薄いものの「仲間はずれ」にほど近い状態になっていくのではいないでしょうか????

そう感じた時、「もしA保育園の方に、不器用で陰口好きでふてぶてしい不合理なママが1人だけいたらどうなってただろう?」という考えが浮かび、背筋が凍る思いがしました。

特に誰が指揮取ることもなく、自然と「総スカン」という形で「仲間はずれ」が成立していたとは考えられませんか?

まとめです!!

「馴れ合い」も「仲間はずれ」も、「自分の居心地の良い居場所を作りたい」というスタートは同じなのだと思います。

 

以前にも言及したとおり、「和を乱す異質物を排除したい」という気持ちは誰にでもあります。私のかつての通学路派閥にも、マンハッタンポーテージのバッグに目をつける先輩にも、「マトリックス」ってあだなをつけた幼稚園ママにも、「馴れ合い」を上手にやれるようになっていった上記の私にも、程度のちがいこそあれど、「排除欲」があるのです。

 

特に、温厚で賢く、合理的な人間ほど、狡猾に当たり障りなくこれをやってのけます。

 

穏和で快適な人と人との「和」を乱さないために、必要不可欠な切り捨てです。

 

そして、この正当性によってこそ、「仲間はずれ」は必ず起きるのだと思います。

 

「馴れ合い」を遂行する気持ちは「仲間はずれ」したい気持ちとニアイコールなのです。

 

それを知ってるために、昔「仲間はずれ」をされていた電波さんな自分が、「馴れ合い」によって何か不都合なものを外そうとしている自分に、居心地の悪さを感じてゲンナリしているのかもしれません。

 

【最後に発言小町にはない秀逸かつ繊細なはてなブログ感想文を紹介】

 すごく細かい描写で感想が書かれいているので心動かされました↓

punch-zaru.hatenablog.com

 

 的確に内容がまとめられています。オチのネタバレなし↓

www.living.jpn.org